11月って、こんなに寒かったっけ?って思う寒い朝。
始発で名古屋を発ち、高田本山駅で降ります。
ここで降りたのは3人だけ。
日曜日の早朝なので、こんなものかもしれません。
無人の駅舎を出て振り返ると、大きな朝日が、踏切の向こうに上ってくるところでした。
寒々しい駅からの一本道をひたすら歩いて、10分ほどたったころ、小さな川に赤い橋がかかった場所に通りかかりました。
その橋のたもとに、ひとりのお姉さんが人待ち顔で立っていましたので、お尋ねしてみました。
『昔、このあたりに大勢楼ってお店ありませんでしたか?』
『たいせいろう!』
お姉さんの大きな声が帰ってきました。
『あったよー。あった。
あそこの角をあっちに(と、左に腕を振りながら)曲がると、ここと同じような赤い橋があるんさー。
その向こう側にあったよ!』
『大勢楼さんは、遊郭みたいなお店でしたか?』とぼく。
『そうそう。あのへんは遊郭だったよ』とお姉さん。
お姉さんは、他にも昔のことや今日のお祭りのこと(今日は一身田のお祭りの日でした)などいろいろ教えてくれました。
これから姉妹と待ち合わせてお祭りの準備に行くというお姉さんにお礼を言って別れたぼくは、先に歩を進めました。
お姉さんが教えてくれたとおり、角を左に曲がり歩いて行くと、赤い橋がありました。
遊郭の手前に橋があることが多いのは、皆さんもご存じの通りですね。
もともと、一身田は古い街並みが多く残っているのですが、このあたりは特に古い家が残っている気がします。
妓楼ではないが、古い家が並ぶ。
ただ、古い建物が多すぎて、どれが大勢楼なのか、どれが妓楼跡で、どれが民家なのかわからないので困りました。どれも妓楼に見えてくるんですよね。
そんなときに、ちょうど家の前を掃除していらっしゃるお姉さんがいました。
お尋ねしてみたところ、お姉さんは大勢楼を知っており、教えてあげようと、ぼくの前に立って案内してくれたのです(こちらのお姉さんは、だいせいろうと言っていました)。
上の写真の右側の奥が福勢楼があったところです。
もうお店は取り壊してしまって広い駐車場になってしまっています。
そして、屋号は忘れてしまったそうですが、上の写真の家も妓楼でした。
二階の外れかけた雨戸から想像される通り、今は誰も住んでいません。
上の写真が、大勢楼。
ここは、なんと往時のままでした。
美しい佇まい。
見事な三層楼です。
下の写真、大勢楼の左が一月亭のあったところです。
もう、跡形もありません。
大勢楼の前には、いすずやさんという妓楼があったとお姉さんが教えてくれましたが、ここも跡形無しです。
いすずやさんはぼくにとって初耳の屋号でした。
橋のこちらからこのいすずやさんのところまでが、いわば遊郭でした。
ここでUターンして、もと来た方に戻ります。
あと、一軒、石寿楼というお店が一身田にはあったはずなので、お姉さんに聞いてみました。
すると、少し照れたように、
『ウチのことかな?』
と。
聞けばお姉さんの家も妓楼だったとのこと。
ただ、屋号は石寿楼ではない別の屋号でした(この時は気が付かなかったのですが、今思うと、いすずやが石寿楼なのかもしれません)。
『あの人も来たことがあるよ』
お姉さんの口から、とても有名な戦前の野球選手の名前が出てきました。
お姉さんの家は、なんと、築200年ぐらいの歴史のあるお店だったそうです。
でも、残念ながら取り壊してしまった後でした。
ちなみに、お姉さんが今も住んでいる家(店の後ろにあった)は築80年だとのこと。
大事に使っていらしゃるんですね。
いつの間にか、日が高くなり暑くなってきました。
お姉さんにお礼を言って別れると、ぼくは上着を脱いで、近くの神社に向かいました。
(2019年11月23日追記: 本文中では『いすずや』としておりますが、1965年の住宅地図によると美寿々家となっておりました。したがって、石寿楼とは別の妓楼のようです)
(2019年11月17日)