カストリ出版さんで復刻されている、厚生省予防局発行の昭和14年1月版『業態者集団地域ニ関スル調』によりますと、
岡山県の欄に「岡山市東田町蓮昌寺境内」との記載があります。
曰く、戸数11、業態者数24。
地図を見ると、蓮昌寺は現存していました。
しかも、今いる中島遊郭跡からですと、岡山駅に帰る道中にあるのです。
時間もあることですし、行ってみることにしました。
蓮昌寺は思ったよりも小さなお寺でした。
この境内の中に業者が11軒もあったとはとても思えません。
とりあえず、境内には入らず周辺を散策してみます。
この辺りは繁華街となっており、飲み屋やしもた屋が並んでいます。
また、蓮昌寺の西側は料亭街のようになっていました。
「ふくだ」という料亭もありました。
西中島にも「ふくだ」はありましたが、字体が違うので別の経営なのでしょう。
さて、ひととおり周辺を歩いたのち、境内に入りました。
普通のお寺さんです。
特に出店があるわけでもないし、それらしき何の痕跡もないようでした。
かといって、このまま帰るのももったいないので、山門付近にあった事務所を訪ねてみました。
こちらの要件を聞くと、どこかに電話をして尋ねてくれている様子。
そして、電話を切ると、こちらにどうぞ、と境内の奥の方に案内してくれるのでした。
緑に囲まれた、奥の建物にいらっしゃったのはおそらくご住職、そして役員のような方でした。
どちらも、蓮昌寺の境内に業態者がいたという話は聞いたことがないとおっしゃいます。
この辺の料亭街はその名残ではありませんかというと言下に否定されました。
そう、このあたり一帯、空襲で一切が灰になったとのことでした。
自らの不勉強を反省しつつ、お寺の歴史を拝聴いたします。
空襲に合う前の蓮昌寺はたいへんに大きかったそうです。
境内の中に町があるような規模です。
そして、実際に境内に商店街がありました。
ですから、境内のなかに業態者がいても不思議はないのです。
そうだ、とご住職が持ち出していらっしゃったのは分厚な『蓮昌寺史』。
10年かけてご住職が編集されたそうです。
その中に、戦前の蓮昌寺の想い出を書いた手記が何本かありました。
読んでみなさい、と渡され目を走らせます。
すると、手記のひとつに、蓮昌寺境内にあったうどん屋の付近に「業態者」らしき女性がいた旨の記述があったのです。
記述の内容を伝えると、ご住職も真剣に手記を読みます。
そして、記述と地図を交互ににらめっこしてご住職はたぶんこの辺りだろうと地図を指さしました。
おそらく、そこに業態者が存在したのです。
・・・。
突然の訪問にもかかわらず、快く応対いただいた、ご住職様、役員様、ありがとうございました。
また、急な夕立に傘までいただいてしまいほんとうにたすかりました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
上の写真のあたり(下の地図の赤丸のあたり)が、ご住職が推定された業態者の地域になります。
(2017年8月1日)
参考ウェブサイト:
蓮昌寺(蓮昌寺の公式サイトです)
http://renjyoji.com/
食べログ ふくだ(田町の料亭ふくださんです)
https://tabelog.com/okayama/A3301/A330101/33000813/
おかやま街歩きノオト(いつものことですが、岡山に行く前に見たかったサイトです)
http://machinooto.exblog.jp/