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三重県・四日市市西新地 港楽園赤線(遊郭)跡

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三重県・四日市市西新地 港楽園赤線(遊郭)跡

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四日市港楽園赤線跡

前に来たときは、国鉄の周遊券を利用しての旅行でした。
とんでもない昔のことです。
さて、『全国女性街ガイド』(カストリ出版)によれば、四日市には港楽園、春告園、港華園と3カ所の赤線があったといいます。
けれども、残念なことに春告園と港華園については、情報を集めきれず、どこにあるかがぼく自身確定できていません。
そういうわけで、今回は港楽園を歩いてきました。

港楽園赤線
港楽園の名前が残る電信柱がある。

ぼくにわかっている港楽園の屋号は以下の十四軒です。
蛭子
銀月
敷島
つくば
加茂川
歌月
水月
寿
錦水
第二寿
新杵
美駒
春駒
三枡

四日市にっかつ
現役の日活の映画館がある。

例によって、古い住宅地図を頼りに、街を歩きます。
とはいえ、四日市は大きな都市なので、昔日の街とはかなり様変わりしていそうです。
特に、港楽園は近鉄四日市駅に至近なので、さすがに当時の建物は残っていないのではないかとぼくが考えていたとしても不思議はないでしょう。

四日市の町なみ

ところが!
港楽園と思われるあたりに来てすぐの路地に、ぼくに誘いかけてくる建物があるではありませんか!
それがトップのカラー写真の建物です。
灰黒色で塗りつぶされ、居酒屋の電飾看板を付けて印象を変えていますが、玄関わきのアールといい、窓枠の意匠といい、明らかにそれらしい風情です。
地図を見ますと、この建物があるあたりには三枡旅館という旅館がありました。
そして、港楽園には三枡というお店があったのは、前述の通りです。
思わぬ出会いに上気して写真を撮りまくっていると、この建物の玄関を開けようとする方がいらっしゃいました。
お声をかけてみると、ここは今は居酒屋だけど、古い旅館を改装して使っているとのことでした。
残念ながら、その方はこの旅館の元の屋号はご存じありませんでしたが…。
後刻、そのお店のブログを確認したところ、築60年の旅館を改装したと2017年の記事に書いてありました。
とすると1957年頃には、この建物はあったと思われます。
おそらく、ここが三枡で間違いないでしょう。

港楽園
三枡旅館と思われる居酒屋。

古い住宅地図によれば、三枡旅館の奥にはクラブ花月があり、その奥に寿別館がありました。
今はビルが建っていますが…。
もしかしたら、花月は歌月であり、寿別館が第二寿だったかもしれません。
また、三枡の左斜め前には、寿司寿本店があり、右斜め前にはバー加茂がありました。
もしかしたら、寿司寿本店は寿であり、バー加茂が加茂川だったかもしれません。

港楽園赤線跡
三枡があったと思われる路地。

さて、三枡がある路地を出たところには旅館ゑびすがありました。
港楽園の組合長だった方がゑびすの経営者でしたが、ここがそのゑびすでしょう。
なお、現在、この付近一帯に同じゑびすという名前の大衆酒場グループがありますが、たまたま同名なだけで、港楽園のゑびすとは関係が無いようです。

港楽園敷島
この付近に敷島があったと思われる。

上の写真のあたりにはホテル敷島がありました。
港楽園の敷島の後の姿でしょう。
そして、その奥、旅館春駒があったところには、まだ新しい東横インが建っていました。
赤線が旅館となり、その旅館の跡地に近代的なビジネスホテルが建つ。
決して珍しいことではありませんが、妙に心に残りました。

四日市港楽園
この付近にゑびすがあった。背後は東横イン

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四日市の料亭
西新地にある風情ある割烹料理店。

四日市市

四日市の町なみ
(2019年11月3日)

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