特殊カフェ―の痕跡を求めて、半田の町をさまよってきました。
半田にあった赤線は清娯園。
こう書くと、そういう場所があったかのようです。
しかし、実際に歩いてみるとわかりますが、半田の特殊カフェーはあまりにも広い範囲に存在していました。
思うに、愛知における赤線の名称は場所を指す場合もあったのでしょうが、あくまでも組合の名称なのではないでしょうか。
実際、赤線の在りし日を記憶している方でも○○園のような名前は聞いたことが無いという人も多いのです。
さて、御託はさておき、半田を歩きます。
JR武豊線半田駅を降りて大股の地下道をくぐり駅の反対側へ。
あ、大股は地名です。
大股で歩いたわけじゃないんですよ。
この「大股」という地名は今ではこの地下道と公園ぐらいにしか残っていないようですが、往時は「南大股」というところに、置屋5軒、特殊カフェー3軒がありました。
そうそう、清娯園組合の事務局も南大股にありました。
上の写真が南大股の『五月』があっただろうあたり。
なお、このあたりには映画館も並んでいました。
往時は華やかだったんでしょうね。
ひたすら南下し、駅でいうと成岩にあった、『菊屋』と『玉寿司』。
上の写真のあたり、今は「王番」さん、「水累咲」さんがあるあたりに『菊屋』さんはあったようです。
『玉寿司』さんは、この裏の住宅街にありました。
ただ、既に建て替えられて現代的な民家になってしまっていました。
こんどは県道を北東へ。
武豊線の踏切を渡り横道に入ったところに『今里』と『三日月』があったようです。
下の写真は『三日月』があったあたりです。
なお、トップのカラー写真の一福旅館はこの『三日月』の前の道を北に進んだところにあります。
下の写真は、思案橋。
思案橋という橋は全国に分布していますが、半田にもあったんですね。
街灯があるあたりには、戦前にカフェー『高砂』があったようです。
半田の駅を北に進んだところにある「喫茶マニアナ」。
この店で昼食をいただきました。
半田の町は昭和30年代に大幅に町名地番が変わってしまったのでわかりにくいのですが、この「喫茶マニアナ」がある東天王町2丁目12は昔の住所で言うと、山崎54にあたります。
そして、その山崎54にあったのが、『福寿』でした。
そういうわけで、おおいに期待して「喫茶マニアナ」には入店したわけですが、今の建物は1970年の建築だそうです。残念。
上の写真のあたりには『千歳』がありました。
近所の方に聞いたところでは、下の写真の場所が『千歳』だということでしたが、複数の出版社の住宅地図を見る限り記憶違いの可能性があります。
確かに、こちらの建物のほうが”らしい”雰囲気はあるのですけれどね。
『明月』、『おふね』はこの『千歳』より少し北にあったと思われます。
ストリートビューで、やや怪しい建物があったので、勇んで現地まで行きましたが、そこにあったのは、まだ塗装の匂いがしそうな新築の建物でした・・・
半田の特殊カフェー
屋号 所在地
菊屋 中瀬古
玉寿司 中瀬古
三日月 浜田
今里 浜田
歌仙 山方新田
宮寿家 荒古
お染 南大股
美喜家 南大股
君福 名切
五月 南大股
千歳 北大股
明月 堀崎
おふね 堀崎
福寿 山崎
香取 北條
清娯園組合 南大股
半田・行き方
JR東海道本線大府駅でJR武豊線に乗り換え(名古屋方面からの直通列車もあり)、半田駅下車。ただし、武豊線はほぼ30分に1本しかありません。
多少、歩く距離が増えるものの、名鉄河和線知多半田駅下車が便利です。
なお、半田の町は公衆便所が少ない印象です。
行けるときに行っておきましょう。
参考ウェブサイト:
半田市観光協会ブログ(春扇楼末廣さんの内部の写真があります)
https://ameblo.jp/handa-kankou/entry-11785507296.html
半田の轍(片山一三さんが書かれた本です。まだ本自体は読めていないのですが、付録の戦前の半田の地図のみ拝見しました。戦前のカフェーの場所はこの地図で調べました)
http://www.ichiryusha.com/book/index.php?main_page=product_info&cPath=20&products_id=9
ご近所さんの憩いの場王番(王番さんを紹介しています)
http://yuraku-group.jp/sanpo/ouban/