富田には、赤線が2箇所ありました。
住吉天ケ須賀(住吉遊楽園)と旭町(富田新地)です。
今回は旭町に来ました。
近鉄名古屋から急行に乗って、4つめの停車駅である近鉄富田駅で降ります。
この近鉄富田駅からは三岐鉄道という私鉄電車が出ているのですが、昔の西武電車が使われているんですね。
私は3歳ぐらいまでは西武電車の沿線に住んでいました。
もちろん、まったく西武電車の記憶はないのですが、得も言われぬ懐かしさを感じます。
さて、近鉄富田駅の改札を出て、古い町並みが残る県道を海に向かって歩きます。
10分ぐらい歩くとJRの踏切がありました。
この踏切を渡ると富田新地まではもうすぐです。
上の写真は、踏切を渡ってすぐの場所です。
道の右側、駐車場になっているここには酒仁さん(「さかに」と読みます)というお店がありました。
その酒仁さんの正面から垂直に伸びている道が、富田新地のメインストリートでした。
上の写真、道の左に四日市屋さんがありました。
大正時代にも、このあたりには四日市屋という屋号の旅館がありましたが、この四日市屋と同じ家かどうかは確認が取れていません。
その先にはいせ家さん、かね源さん、そしてあさひさんなどがありました。
上の写真はあさひさん。
ほとんどのお家が建て替えられていますが、ここは昔のままです。
あさひさんの前には美咲さん、交差点の斜め前には廣月さんがありましたが、これらは影も形もありません。
小川に掛かる橋を渡ります。
遊里が、川で隔てられているところは多いですよね。
ただ、旭町は川の向こうにもお店がありました(川の向こうの住所は旭町ではありませんが)。
さて、こちらは川の向こう側。
上の写真、駐車場になっているところには田村亭さんがありました。
下の写真のお家は戎さんだったお家です。
往時をしのばせるたたずまいですね。
この二軒が並んでいた通りは、本町通りといって、以前はたいそう栄えていた通りだとのこと。
ちなみに、この本町通の一本東にある通り、今は葬祭屋さんがあるところには、富田劇場という映画館があって、いつも満員だったそうです。
今回、数名の方にお話をきかせていただいたのですが、そのうちのおひとりは妓楼のことを女郎屋と呼んでいました。
なんかすごい昔の言葉のように響きますが、今でも生きている言葉なのですね。
(2022年10月4日)