河鹿荘の美しいフォルム。
初春の一日、湯の山温泉に行ってまいりました。
近鉄湯の山温泉駅から、三重交通のバスに乗り換えます。
バスは山道をぐいぐいと上っていきます。木々の間からときおり見える街並みは、はるか下界にあります。
いつの間にこんなところまで来たのかと驚くぐらいの高度です。
そういえば、松本清張の小説に、御在所が舞台になったものがあったなあなどと考えるともなく考えていると、終点、湯の山温泉・御在所ロープウエイバス停に着きました。
湯ノ山温泉三業組合長の名前が見える。
さて、バス停から温泉街までは急な坂道を下るのですが、その途中に大黒天があります。
そこの石碑には、発起人として、湯の山温泉三業組合組合長のY氏の名前がありました。
Y氏は、湯の山温泉にかつてあった老舗旅館、杉屋の社長だった人です。
この杉屋と寿亭(今の寿亭とは別の経営者でした)が当時は中心となって三業組合を回していたと、地元の方が教えてくれました。
杉屋の名前はつくが、実質的には杉屋とは別の経営だったという。
湯の山温泉には、赤線があったといいます。
カストリ書房さんの『実態調査全国赤線青線地区総覧』という書籍によれば、その名も湯楽園。
七軒で構成されていたとか。
ぼくが知る限りでは、
泉
翁
喜久住
喜の家
山楽
玉の家
ひな屋
というお店があったようです。
地元の方にそれらのお店についてお尋ねしたところ、とてもていねいに教えてくれました。
下の写真が泉さんだった家。
置屋をしていましたが、後年は玉突き場をしていたそうです。
下がひな屋さんがあったところ。
置屋さんでした。
今は駐車場になっています。
下が翁さんがあったところ。
置屋でしたが、メインは売店だったそうです。
後年は喫茶店でした。
下が玉の家さんがあったところ。
やはり置屋でした。
まったく影も形もないですね。
下が喜の家さんがあったところ。
後年は美奈川という旅館でした。
なお、喜久住は名前は聞いたことがあるけれども、どこにあったかはわからない、山楽というお店は聞いたことがないとのことでした。
駅前には杉屋の支店があった。
お話しを聞かせてくれた方によると、ぼくが挙げたお店は、全て置屋であり、娼家ではなかったとのこと。
また、湯ノ山には他に娼家があったことはない、とおっしゃっていました。
売春防止法が施行されたのは、その方が中学を卒業した年です。
だから、赤線のお世話になったことはないんだよ、とのことでしたから、まだ若すぎたその方が知らないだけかもしれません。
湯楽園はぼくの挙げた七軒なのか、それとも別に娼家が存在したのか。
それとも、表立っては存在しなかったのか。
松本清張の小説においては、執念深く御在所の石河原を捜索した刑事によって煙草の吸い殻が見つけられ、それが糸口となり、あわや迷宮入りだった事件が解決しました。
湯の山温泉の赤線、煙草の吸い殻は見つかるでしょうか…。
軒灯には萌えます。
(2020年3月21日)