赤線時代はこの通りにも数軒の待合があった。
『ゴーストタウンみたいやろ』
『鳥羽は終わっているわ』
ぼくに話をしてくれた方々が口々に言いました。
確かに、静かな朝でした。
人通りのほとんど無い通りを斜めに照らす朝日は、古いトタンづくりの家のすみずみまでをあからさまに見せていました。
しもたやの閉まりきっていないシャッターの下の隙間からは、ごみがいっぱいに詰まった土間が見えていました。
音らしい音はありません。
ゴーストタウンというより、夢の中の街みたいだな、とぼくは思いました。
本町通。この家に限らず、朽ちるままにされている家が多い。
本町通り。數寄屋があったあたり。
ただ、ぼくが鳥羽を訪れたのは、正月二日の朝です。
多かれ少なかれ、どこの街も静かな朝を迎える日です。
『正月二日の朝ですから、仕方ないですよ』
ぼくの言葉に返事はありませんでした。
まるで、静かな朝は今日だけではないのだというように。
大里通。正面にある袖看板のある建物が白子屋という妓楼だったという。
大里通り。白子屋とされる家のディティール。
帰り道、線路沿いの道を通って鳥羽駅に向かいます。
紺色と柿色に塗り分けられた特急電車がぼくを追越していきます。この昔ながらの特急も、もうじき特急業務からは引退するとか。
時代は移るのです。
大里通。松月、靜楽、津ノ国、政屋などが並んでいた辺り。
『!!』
どこからどこに行くひとたちなのか。
鳥羽駅は、人でいっぱいでした。
ぼくは夢から覚めたような気になったのです。
本町通。太平楽、金波があったあたり。
下の地図は、地元の方々からのお話を参考に作成いたしました(白子屋につきましては、一八堂さんの壁に貼ってある絵地図(地図の下の写真のものです)によります)。
本町通。一八堂さんに貼ってあった絵地図。
大里通。赤いトタンが印象的な家。
(2020年1月2日)