中京地区ではビーチリゾートとして知られる内海。
夏はナウいヤングでホットな街ですが、季節外れの晩秋、そして寒々しい正月と2回にわたり男一人で行ってまいりましたのでレポートしてみたいと思います。
内海には、海楽園という赤線(遊郭)がありました。
『愛知県警察史』によると、海楽園の特殊飲食店は2軒従業婦数7人となっています。
しかし、これは昭和30年頃のお話し。
昭和22年の時点では海楽園は5軒で構成されていました。
風月、五月、三都野、菊水、そして××。
今、名前を挙げた4軒はいずれも現在は営業していません。
ただ、伏字にした1軒については、転業旅館の一言で片付けられないような大手の旅館として現在も営業されていますので、あえて名前を伏せました(この記事でもXXの写真は一切載せていません)。
以上の5軒のほかに、まちBBSの★東海地方の遊廓跡を歩くⅤ★という掲示板では内海館さんの名前が海楽園の組合長として掲載されています(余談になりますが、この掲示板はとても参考になりますよ)。
しかし、残念なことに、当該掲示板で挙げられている資料がかなりの稀覯本のようで、ぼくはまだ見ることができていません。
したがって、内海館さんが海楽園に属していたかどうかの確認は取れませんでした。
なお、内海館さんは今はもう廃業されていますが、当地では一番格が高い旅館だったと、地元の方がおっしゃっていました。
内海館さんがあったのは、上の写真のところ。
内海館さんには本館と濱座敷前館があったようですが、こちらはどちらの内海館の跡なのでしょうね。
では、一軒一軒見ていきましょう。
上の写真の駐車場になっているところが特殊カフェー風月さんがあったあたりです。
影も形もありませんね(笑)。
特殊カフェー五月さんについては、今のところ、よくわかりません。
1970年の住宅地図に、五月荘として記載されているお家があったのが上の写真のあたりですが、海楽園の五月と同じかどうかまでは調べがつきませんでした。
(2018年2月12日追記:その後、特殊カフェー五月さんが、五月××という屋号だった時期の記録が見つかりました。××は上にも書いた現役の大手旅館の名前です。とすると、五月は××の支店だったのかもしれません)
菊水さんがあったのは、上の写真のあたり。
この辺りは、今でも、海の家のようなお家が散在しています。
三都野と書いて、「みつの」と読むそうです。
(2018年2月12日追記:地元の方からの聞き取りでは「みつの」でしたが、三都野の経営者の苗字は水野だったので、「みづの」だったかもしれません)
上の写真の建物、1970年の住宅地図には松よし寮と記されているお家が、松よし寮になる前は三都野だったような気がすると教えてくださった方がいました。
なお、松よし寮は、芸者の置屋さんのようなところだったようです。
けれども、資料を総合して考えると特殊カフェー三都野さんがあったのは、上の写真のあたりのようです(途中で移転した可能性もありますが)。
この通りは昔、映画館やパチンコ屋、旅館などが並んでいる繁華街でした。
赤線跡をめぐっていると、昔はここに映画館があったんだよという話をよく聞きます。
昭和生まれの男はひとり、昭和とともに消えて行ったものたちに思いをはせるのでした。
内海海楽園・行き方
名鉄知多新線内海駅下車。
駅前から伸びる道を海方面に向かう感じで南下していきます。
徒歩10分から20分ぐらい。
常滑のついでに来るのなら、市場バス停から知多バスで上野間行きに乗り、終点の上野間駅で知多新線に乗るのが早くて安いです(ただし、バスの本数が少ないのでご注意ください)。
参考ウェブサイト:
愛知県図書館絵はがきコレクション(昔の内海館の写真を見ることができます)
https://websv.aichi-pref-library.jp/chiki/ehagaki/f_chita_2.html
美晴楼(楼がつきますが遊郭跡ではありません。昔は旅館だったうなぎ屋さんです。親切ですよ♪)
https://tabelog.com/aichi/A2304/A230403/23031504/
知多娘。(内海お吉というキャラがいます)
http://www.chita-musume.com/blog/
(2017年11月9日、2018年1月2日)